2015年11月8日日曜日

富山マラソン2015 まとめ その7

実に長かったマラソンネタもこれで最終回です。

ゴール時のショックからはしばらく立ち直れませんでした。夢のサブ4まで、あとたったの8秒って。普通に考えたら「それってどうにかならなかったの?」って話ですよね。いや、自分でもどうにかならなかったのか?と自問自答していました。あの写真撮影が。あの給水が。あの給食が。あのハイタッチが(子どもたちのせいではないです!!)4時間を振り返り、どこに無駄があったのか。

給水以外は、脚を止めることは無かったです。42km、走り通しました。けど、達成感は全く無く、後悔の念しか起きませんでした。

そうです。

これは私の中でベストレースだった。3ヶ月、死にもの狂いで金先生のメニューをこなしました。
3ヶ月で500km以上走りました。腹筋(コロコロするやつ)もほぼ毎日100回やりました。体調も万全で、天気も気温も最高で、コースもアップダウンも少なく、エイドも素晴らしく、こんないい条件がそろう事、この先もう無いかもしれない。

しばらくの間は、こんな感じでネガティブ思考全開で打ちひしがれていました。

給水(ポカリ)→完走証→フィニッシャータオル→完走メダルの順番に移動します。若い女の子が「お疲れ様でした!」と言ってバスタオルを肩にかけてくれたり、完走メダルを首にかけてくれたのは本当に嬉しかった。(何気に若くてかわいい子の列を瞬時に選ぶ判断力だけは残っていた自分に驚く)


 
 
手荷物受取は、体育館の地下でした。地下へのスロープを下りるのがキツかった。


更衣室は、昨日の受付会場。1日が濃すぎて、あれが昨日のこととは思えません。





もらったポカリより、コーラの方が全然うまい。(コーラ好きのランナー多いです。自販機もコーラは売り切れでした)

そうや、きっとポカリのせいや。二度とエイドでポカリ飲まん!!(大塚製薬に責任転嫁)


更衣室でしばらく休みました。ぐったりとしているランナーが他にもたくさん。


その後富山駅まで歩き、あいの風とやま鉄道で高岡市に移動。電車内、かなり混んでました。4時間かけて走った区間が電車だとわずか20分かからず。

高岡駅で遅い昼食。


 
 
氷見うどん


 
すり身揚げ(美味しかった)
 
隣もそのまた隣もランナーのお客さんが。
地元の方なんでしょうね。ビールを飲んでいるのがうらやましかった。
私はこれから2時間ほど運転が待ってる。
 
 


 
お土産は、北陸新幹線の中に入っているバームクーヘン
 

 
かまぼこ色々
 
 
こうして夢のような2日間が終わりました。苦しかったし、余りにも残念過ぎる結果に落ち込みもしたけど、一番言えるのは
 
「楽しかった!!」
 
そして、素晴らしい第一回大会でした。富山の印象が良くなりました。
 
第一回とは思えないくらい、完成度の高い、きめ細やかな内容でした。運営の方々の思いを感じる大会でした。ボランティアの人数も充実していたし、エイドも素晴らしかった。地元色あふれる給食に、見やすい看板、「最後のゴミ箱」の目印、Tシャツデザインも気に入っていてその後さっそく着て走ってます。
 
そして何よりも、応援が「素晴らしい」なんてもんじゃなかった。最初から最後まで途切れることなく続く沿道の応援にどれだけ勇気をもらえたか。子どもたちの声援、中学生か高校生くらいのブラスバンドやダンスなど、おじいさんおばあさんの応援も沢山居てくれました。貴重な祭り屋台も出して頂き、他にも各県の応援のぼりに、流鏑馬(?)の馬まで応援に。最後、ゴール周辺の観客の多さは、圧巻でした。自分がまるでオリンピックの選手になったかのよう。(手を振る余裕すら無かったけど)
 
第2回は決まっていないようですが、RUNNETのレビューもやはり相当にいいです。きっと口コミで人気の大会になるでしょう。来年開かれるのなら間違いなく参加したいです。(揖斐川と重なるのが微妙だけど。そういや揖斐川、今日でした。雨でしたね、気の毒です)
 
 
「サブ4ランナーです!!」と胸張って言えない、4時間00分08秒という情けないタイムでしたが、考えてみれば、2年ちょっと前に70kgオーバーまで太り、運動なんて学生時代以来ろくにやったことのなかった肥満40代が、3回のケガでの1年間近いブランクを克服し、「初フルマラソンで4時間ちょうど」であるなら、まずまずといったところかもしれません。

次の4月の長野マラソンは、冬場の練習不足は避けられず、どこまでいけるか何とも言えませんが、再度サブ4にチャレンジしてみようと思います。

長い長いレポートにお付合い頂き、ありがとうございました。



 

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