2014年7月25日金曜日

葉桜の季節

なかなか本を読んで書評を書こうとは思わないです。
そこまでの文章能力は無いし、拙文では著者に失礼かなと。

ただ、今回は読み終わってからこみ上げる何かがあったので、自分自身への記録のために簡単な書評を残そうと思います。

「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野 晶午(Shogo Utano)



ジャンルでいうと推理小説のようです。この著者の作品は初めて読みました。名前だけだと女性かと思いましたが、男性(52歳)なのですね。

歌野 晶午 Wiki

タイトルに桜が付きますが、表紙の写真はガーベラです。


読み終わったとき、確かに衝撃を受けました。確認のためにもう一度読み返す必要がありました。伏線のはり方が巧妙です。

本の最後に「補遺」として、補足が付いていますが、そこを読んで納得するところが多かったです。(うっかりそこを先に読まないように!!)


で、ここからが「ネタバレ」の要素を含まざるを得ないので、読もうと思っている方は先を読まないでください。どんでん返しの部分には触れないように気を付けて書こうとは思っていますが。


2つの感想を抱きました。

最初はやはり驚愕でした。
「え?え?どういうこと?」

完全に裏をかかれたというか、予想だにしない結論でした。 それ が正しいのか、もう一度読み直す必要がありました。確かにところどころに それ を匂わす伏線が張ってありました。 「そうか、だからか」と、納得するシチュエーションもいくつかありましたが、納得できない箇所もいくつもありました。

やがて違う感想も起きるわけです。

「それ は、少し無理があるのではないか?」
あるいは
「それ を狙って最初から書いていた著者の心境はどうだったのだろうか?してやったり、と思ったのか?」

確かに読み終わってから考えると、タイトルまで実に巧妙です。ただ、巧妙過ぎて若干引いてしまった自分もそこにいました。「それ」が前面に出過ぎてしまうからでしょうか?

「いつかこんな人であれるように、自分もそうありたい」など陳腐な感想をうたう気はさらさらないです。ただ、主人公と同じように、朝のジョギングをしながら、葉桜を見上げ、この小説に思いを馳せました。これだけ心に強く残り、書き記そうと思っただけでも、私にとって意義のある読書であったことは言うまでもありません。


ただ、3回目を読むことはないかな。


百田小説の方が好きかな、私は。





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