私も妻も、祖父母は両方とも他界していますので、まさに「ばあちゃん」の感覚の人でした。
うちの店が、「空の色」に変わる前、「岩田生花店」だった頃、白川村からしょっちゅう出てきては、何かと助けてくれました。
白川のばあちゃん、朝日屋のばあちゃん、と呼んでました。ばあちゃんの作る中華そばは本当に美味かった。
白川村の訛りが強く、妻は慣れるまでは何を話しているかさっぱり分からなかったそうです。
白川村の旅館をほぼ1人で切り盛りしていた、まさに女傑でした。高山に来ると、好きなパチンコに行き、「今日は勝てた」「今日は全然だしかんわ(ダメって意味)」と、聞いてもないのに報告してくれてました。
タクシーの運転手さんが店の前に来て「この薬、白川のばあさんが持って行ってくろ、と言われて」
なんと、本人は病院から途中のパチンコ店で降り、タクシーの運転手さんに薬だけ店に届けさせる、なかなかスゴイ方でした。
生き方そのものが、豪快でした。
「ぼー。これ飲め」
「ぼー」「びー」は飛騨の言葉で「男の子」「女の子」を指します。
昔、やたら苦いモノをばあさんに飲まされました。
「これ、身体にいいんやぞ」
その頃は良く分かっていませんでしたが、白川村で漁師が仕留めた熊から取り出した「胆嚢」通称「熊の胆(くまのい)」だったらしく、親指の先っちょくらいの量で、何万もする貴重な物でした。
お経の後のお斎の席で、そんなばあさんの思い出話を白川村の人たちとしていると、上座の御坊さんが教えてくれました。
私の隣の方が、その「熊の胆」をばあさんにくれていた人や、と。
80歳は越えたかの、寡黙な厳めしい老人がまさに漁師(マタギ)の方でした。すでに引退なさっていたようですが、熊漁のスゴイ話を聞かせて貰いました。
白川のばあさんが、「縁」を伝えてくれた気がしました。
夏が始まりますね。
来て良かった。
白川のばあさん、本当にありがとう。
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