2012年2月21日火曜日

死刑制度を考える

山口県光市の母子殺害事件の上告審判決が死刑で確定しました。
犯行当時18歳と1カ月という年齢と精神的に未成熟であったという精神鑑定論から死刑が認められるかが焦点でしたが、そのあたりの難しいところはわたしでは正直難しいので、一素人の別の視点で述べたいと思います。

なによりニュースで見た際の本村さん(被害者の夫であり遺族)の記者会見が印象的でした。
「判決に満足しているが、喜びは一切ない」と厳しい表情で語ってました。
事件から13年間、いったいどのような毎日だったのか。
妻と子との幸せな日々を一転どん底に突き落とされたその瞬間を想像するに、あまりにも想像を絶します。それでも本村さんは決してあきらめなかったといいます。
法廷の外でも司法の壁と闘い続けました。刑事裁判ではそれまで被害者や遺族は傍聴席が用意されることもなく、法廷に遺影すら持ち込むことさえ許されなかったそうです。全国被害者の会の結成に参加し、講演に全国を飛び回った。熱意は世論を動かし、遺影の持ち込みが認められたほか2004年には犯罪被害者基本法など各制度が改善されたそうです。

「この事件で3人の命が奪われる結果になった。明らかに社会にとって不利益なことです」
とも語った。2人は家族、もう1人は元少年のことである。

本村さんの13年の生き様には、一言では言い切れない、想像を絶する悲哀と強い信念を感じます。
罪を憎んで人を憎まず、この気持ちにどれだけ迷われたことでしょう。

「元少年にやり直させるのが正義なのか、死で償いをさせるのが正義なのか、悩んできた」
悩んでも「答えがない」とも。



やはり、わたしはなぜ事件が起こってしまったのか、そこに焦点を当てるべきだと思いました。


なぜ少年は犯行に及んでしまったのか。少年は幼少時、親から虐待を受けていたとの記載もありましたが、詳しいところは分かりませんでした。
少年の生まれ育った地域はどのようなところだったのか?
少年の人格形成はどのように成されていったのか?
もっと言うと、今のこの我々の社会が犯罪を生み出してしまっているのでは?
マスメディアにはこのあたりを深く掘り下げていって欲しいと思いました。

これからの日本にとって特に大切なことのひとつに「教育」があると思います。
宝である子どもたちをどのように育成するのか、その子どもたちにとっていかに住みやすい街づくりをしていくか、それがわたしたち大人に与えられた使命だと思います。

また、地域(コミュニティ)の問題も大事です。飛騨地域ですら、人は住んでいるのにコミュニティの過疎化は進んでいます。都会に比べ、アパートやマンションは少ないものの無関心化は随所に見られています。「地域で子どもたちを守る」かつてはわたしも理解していませんでしたが、いまの時代は特に大切だと思います。知らない子に対しても挨拶をし、時には「怖い近所の人」であろうと思っています。

今日は大変堅い内容でした。そのあたりの考えといまわたしたちに出来ることを今後また述べさせていただきたいと思っています。<(_ _)>


被害者の方に合掌


<記事は一部中日新聞からの抜粋です>
 

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