2017年6月24日土曜日

飛騨高山ウルトラマラソン まとめ

リタイアを覚悟して臨んだ飛騨高山ウルトラマラソン100km。
奇跡的に左ふくらはぎの痛みが最初から最後まで出ず、これはもう本当に不思議でした。それどころか、まるで走っているうちに治ってしまったかのようでした。

帰宅し、風呂に入りながら色々と身体を見てみると、右足のかかと横は大きな水ぶくれが出来て出血も。ワセリンを塗ってあった股間やわきの下の汗もは出来ませんでしたが、塗ってなかった臀部(お尻)には汗もが出来て赤くただれ、シャワーをかけるとかなり痛かったです。脚全体の疲労感は言うまでもなく、階段はかなりキツく、横向きに手すりをつかわないと上り下り出来ませんでした。けど、2日後にはかなり回復しました。



 
最終ラップが優秀ですね。(自画自賛)
赤木さんにも褒めてもらえました!!
 
 
妻がアップしたブログにはずいぶんと沢山の方の反響を頂き、本当に恐縮ですm(_ _)m

国内屈指のハードさを誇る、飛騨高山ウルトラマラソン100kmを完走できたのは、本当に嬉しかったですし、想像以上の達成感と、自分への自信に繋がりました。
 
以下、まとめです。
 
1.この完走は、師匠赤木さんのお蔭

 ふくらはぎの肉離れで国府の試走は実現出来ませんでしたが、直前にやって貰った丹生川支所⇔千光寺の試走はとても勉強になりました。試走のあいだに教えてもらった沢山のことも、レース当日に反芻しながら走りました。アドバイス通り、前半を抑えに抑えたことが、後半のビルドアップに繋がったと思います。他にも「ゲイター」を教えてもらったり、他LINEで教えてもらったことは繰り返し読み返しました。本当に感謝です。
 
2.この完走は、ある意味ケガのお蔭

 ふくらはぎの肉離れの違和感を、まさにレース直前まで持ったままの出場。「不安100%」という状況で出走しました。100kmというとてつもない長さに脚が耐えれるのか、レースに対する「畏怖感」がありました。これがもしも絶好調の体調であったら、調子に乗って前半を飛ばしてしまい、後半に地獄を見たかもしれません。この100kmへの「畏怖感」や、ケガの痛みへの「不安感」が、ある意味勝因のひとつだったのかもしれません。
 
3.ウルトラの達成感はジワる

 レース直後の達成感より、その後数日かけて訪れるジワジワとした達成感がヤバいです。昨年、富士登山を日帰り単独で行ったときに良く似ています。ハンパない達成感です。終わった後1週間くらい、ウルトラのことが頭を離れませんでした。さらにその後、まさかの「ウルトラロス」感までありました。過去の大会で味わったことのない感覚です。地元の大会であることもかなり大きな要素だったのでしょう。
 
4.100km完走というスペックは、多くの人を引かせる(笑)
 
 人は想像できることには共感しやすいです。例えば「昨日、焼き肉食べたんだー」「へー。いいなー」とかは想像出来ますよね。ところが、「ウルトラ100km走った」というと、かなりの確率で絶句されます。おそらくスペックが異次元で、想像の範疇を越え、どう反応していいのか分からないのでしょう。これはもう、走った者にしか理解できないかもしれませんね。
どんなことにおいても「その立場にならないと分からない」ってことありますから。
 
5.レースを振り返ると、そこには「感謝」しか無い
 
 100kmという長い距離を走れるのは、本当に有り難いこと。なぜなら、約1,300人を越えるボランティアスタッフ、20を越えるエイド、沿道の応援、などがあるから。1人でやろうと思っても、誰が途中で給水ポイントを作ってくれるの?誰が応援してくれるの?ってこと。カクレハ高原以降の林道など、とんでもないところを走らされますが、そんなへんぴなところにもちゃんとエイドは設置されています。熊出没注意の喚起がされていましたが、ランナーより、そのような場所で長い時間待機するボランティアの方々の方が怖かったのでは?
 「半日以上も走らされる」というより「半日以上も走らせてもらえる」という、その有り難さに感動しました。たったの18,000円でこのような素晴らしい経験をさせて貰えるのなら、コスパ安過ぎって思いました。
 
6.レース後に起こった出来事
 
 1.次女が風邪を引いた。私の到着が18時を回っていたため、半袖で来ていた次女が寒さにやられた。(翌日には回復)
 2.妻がウルトラに興味を持ち始めた。それまでかなり無反応だった妻が、多くのランナーを間近で見たせいか、にわかウルトラファンになってくれた。(ただし3日間のみ)
 3.ミーティングの時など、スタッフへの話の中に、しょっちゅう「ウルトラ100km」のフレーズが出るようになった。(苦笑)
 
7.マスコミには71kmも100kmも同じ
 
 「赤木さん3位入賞!!」を各紙で見るのを楽しみにしていたのですが、紙面はどこも71km連覇の方のニュースばかり。もちろん連覇は素晴らしい記録ですし、決して71kmバッシングではありませんが、ウルトラの醍醐味はやはり100kmかな、と。その100kmで、地元で初の3位入賞はもっともっと大きく取り上げて欲しかった。ま、弟子のお師匠愛もかなり入ってますが(笑)
で、私は各マスコミに言いたい。
「100km走ってから記事を書こう!!」(いや、もちろん冗談ですよ)
決して71kmを走ったランナーをディスってるわけでも無いです!(大事なことなので2度言いました)
 
結論
 
飛騨高山ウルトラ100kmは、私の人生の中で、かなり上位に来る素晴らしい経験でした。本当に楽しかったです!来年も、もちろんエントリーします!(目標12時間台)

それより前に
 
実は
 

9月に開催される「白山 白川郷ウルトラマラソン100km」にエントリーしようか、迷っているところです(笑)
 
 

以上、長い長い連載にお付き合い頂き、ありがとうございました。



 
 
 

2017年6月23日金曜日

飛騨高山ウルトラマラソン 感動のゴールへ

公文書館で妻から
「赤木さん、3位だったよ!!」
と聞いて、めちゃくちゃ嬉しかったです!!

3位入賞!!良かった!!さすが、お師匠さん。私も残り7km頑張ろう!!

とても励みになりました。

その後、km5分台を出した時は、息切れして少し歩いてしまいましたが、
他のランナーの方に、「あと少し!!頑張りましょう!!」と声を掛けてもらい、元気が出ました。1kmほど、その方の後ろに付いて引っ張ってもらいました。

ゴール前3kmあたりは、何人ものランナーがゾンビ状態になって歩いていました。
その横を走り抜けるのは、かなり気持ちが良かったです。

最後、信号待ちのランナーが何人も居ましたが、私が着いたときにちょうど青信号になったので、その集団も追い抜いてそのまま最後の直線を走り抜きました。


 
最後の直線(練習の時に撮影)


フルマラソンで、何度最後の1kmを歩いてしまったことか。ついこの前の東京マラソンでも、完全に枯渇し、最後は歩いてしまいました。まさか、ウルトラ100kmでビルドアップに成功して、走ってゴールできるとは!!これは奇跡だ!!

最後の坂です。

息も絶え絶えで、脚もガクガクするし、心臓も破裂するかと思うくらい苦しかったけど、走って走って走りました。

家族のもとへ。

よし、子どもたちと手をつないでゴールだ!!!



え?

あれれ?

どこ?

家族、居ないやん・・・・・・

ええええええええ。まさか、嫁はん、またやらかしたか!!!


仕方ないので、電話するわけにも行かず、それより早くゴールしたかったので

単独でゴール!!!

市長とハグ。



終わった。

100km、走り終えた。

もう走らなくていい。

タイムは、13時間28分08秒

半日以上、走り続けました。

ヤバい。泣きそう。


少し休んでから妻に電話しました。

「あのさ、どこにいるの?ゴールしたんだけど・・・」

「ええええええ。もうゴールしちゃったのーーー?はやーい」

「つかさ、待っとけや・・・・子どもたちと手をつないでゴールしたかったのに」

どうも、80km~90kmのラップなどを見ていたら、そんなに早くゴールするとは思っていなかったらしく、ゴールで待っていたことは待っていたらしいのですが、次女が「お腹空いた」というから、少し抜けて食べ物を買いに行っていたあいだに私がゴールしてしまったらしい。

ま、普段からこんな感じでかなり抜けた人なのですが・・・・・(苦笑)

 
完走しました。
普段、顔写真晒すの苦手なんですが、今回だけは。
 
次女と。



長かった連載も次回で終わりです。

次回、総括です。




 

2017年6月22日木曜日

飛騨高山ウルトラマラソン最終関門 公文書館

90kmの通過タイムは、17時15分だったので、残り10kmを1時間45分以内で走り切れば良いので、早歩きでギリギリ間に合いそうな状況だったのですが、それが分かったのは後日だったので、その時はいかにビルドアップしてゴールするか、そればかり考えて走っていました。

第五関門(最終関門)公文書館93.3kmに着きました。確か17時半頃だったと思います。

給水を取り・・・・


あ!!


 
まさかの家族が応援に!!
駆け寄る次女。
(撮影 妻)


 
まさかここに来るとは思わず。
これは結構嬉しかったなぁ。
 
辛い時の家族の応援は、やっぱり嬉しいものです。
 

 
長男とハグ
「先に行ってゴールで待っててくれ。手をつないで一緒にゴールしよう」
 
家族に告げて走り始めました。
あちこち身体がエライことになっていましたが、
幸いにも脚だけは残っていました。
 
家族の応援は力になりました。
 
この後は、km5分台まで出たくらい。
最終ラップ10kmは、1時間12分と、レース中3番目に良いラップタイムでした。
 
自分で言うのも何ですが、見事なビルドアップだったと思います。
 
 
次回、ゴールです。
 
ところがまさかの悲劇が訪れるとは・・・・・・
 
 
 
 

2017年6月21日水曜日

飛騨高山ウルトラマラソン 裏ボス越え

グリーン薬局前エイド(82.8km)で、座り込んでしまいました。

けど、この日陰での5分ほどの休憩が良かったです。
身体から熱が引きました。

走りながら色々と考えたのですが

過去のフルマラソンやハーフマラソンでの色々な経験は、このウルトラ100kmでずいぶんと役に立ちました。暑さに関しては、初めて走ったハーフマラソン(山之村)で熱中症になったことが。あの時のエラさに比べれば、こんなのまだマシ、と。フルマラソンでの35km付近でのエネルギー切れも、今回はまだ来てない。あの時のキツさに比べれば、こんなのまだ平気、と。

夕方にさしかかり、少しだけ涼しい風を感じるような気がしてきて、少し楽にもなりました。

川上川を越えたら


 
ついに分岐に。
71kmはこの後すぐにゴールのビッグアリーナに。
 
100kmはここを右折し、延々15kmほど清見まで走らされます。
ここからが100kmの地獄。
 
しかも待ち受ける「裏ボス」
 
説明会の時に言われた最後の激坂、通称「裏ボス」が待っているのです。
 
この分岐からは、なぜか元気が出てきました。
自分でも不思議でした。
 
1.夕方16時半を越え、少し涼しくなってきたから
2.何度か試走をしているコースだったから
そして何より
3.「完走」の2文字が見えてきたから!!!
 
 
21エイド 八日町新鮮野菜販売所(87.4km)までは、歩くことなく、それどころか割と良いペース(km6分台)で何人ものランナーを抜きました。
 
このエイドで食べたトマトが死ぬほど美味かった!!!
トマト最高!!!
 
エイドを出るとすぐに表れる「裏ボス」様
 


 
こんなの序の口。


 
練習の時の「裏ボス」

 
3km近い登り坂。しかも一度下りてまた登るという、2コブらくだ式。
 
練習では走って登ったんですけどね。
90km近く走ってきた脚ではさすがにムリだし、周りの誰も走っていない!!
 
この時、実は脚がまだ残っていることを実感していました。
 
「よし、最後の関門を越えた平地はビルドアップしてゴールしよう」
 
そう決めて、ひたすら「裏ボス」を耐えました。
 
 
 90kmの記録計測は感動しました。「完走」を実感しました。制限時間も余裕がある、はず!?
 
脚は残っていたのですが、頭の方、考える気力は無くなってきていました。タイムの計算が出来ない!!私のタイムって間に合うのか???
 
その時、白ゼッケン(AM4時45分スタート)の2人のランナーの会話が聞こえてきました。
 
「これ、今の時間だと最終関門の関門時間(17時45分)に引っかかるかも・・・」
「えええええ。私、関門に引っかかるの初めてです。急ぎます!!」
 
どうもウルトラを走り慣れた2人のようです。私は2部のスタートなので彼らより15分余裕があるはず。この会話を聞いて少しだけ安心しました。けど、ペースを早めて駆け下りているこの人たちに付いていこう、と決めました。
 
「関門時間を気にするのって、嫌だろうな・・・」と思いながら、急いで駆け下りる2人のランナーのすぐ後ろに付けました。お蔭で、最終関門の公文書館まで、km6分9秒とkm6分11秒という、かなり早いタイムで駆け下りることが出来ました。
 
 
 

2017年6月20日火曜日

飛騨高山ウルトラマラソン第四関門 国府B&G

14エイド千光寺(61.9km)→15エイド下柏林道終点(65.8km)は、4kmも無い下りなのですが、それなりに疲労感もあり、かなり長く感じました。

エイドと言えば

どこにあったかもはや記憶に無いのですが、24の公設エイド以外にも私設エイドがいくつもあり、コーラを飲ませてもらったり、本当に助かりました。「感謝」の2文字しかありません。

15エイドを過ぎ、不安を感じていた国府の街を走り始めました。

これが単調で長い!!

キツい!!

16エイド宮地公民館(69.2km)では、誰も並んで無かったので2回目のトイレに行きました。


 
乱れるラップタイム。
 
70kmの計測を越えた国府三日町付近では、完全に暑さにやられました。
身体に熱がこもっているのが分かり、何度か歩いてしまいました。
今にして思うと、ここで歩いてしまったのは悔やまれる。
国府B&Gのエイドが絶望的に遠く感じました。
来年は絶対に試走しておこう。
 
B&Gのエイドでは何度も頭から水をかぶって冷やしました。
確か、猪汁のような温かい汁物があったような気がしますが、さすがにあの暑さの中では食べたいとは思えず。冷たいものがあると良かったですね。
 
B&Gの後の、直線もキツかった。
線路を渡るといつものランニングコースが!!
アピタ往復20km走のときに走るコースです。
 
「よし。知ったコースだ!!きっと元気が出るはず!!」
 
・・・・・・甘かったです(涙)
 
ウルトラはそんな甘いもんでなかった。
 
何度も走ったコースなのに、いつまで続くのかというくらいの長さを感じ
容赦なく照り付ける午後の太陽は、体力と気力を奪っていく。
前半抑えに抑えたんだから
 
「今こそ力を振り絞れ!!!」
 
と、自分に指令を出すのですが
 
「エライなら歩いていいよ。ほら、あのランナーだって歩いている」
 
という、甘いささやきも聞こえてきます。
 
走っては歩くを繰り返してしまいます。
 
18エイド村山公民館(77.9km)を越え、80kmの記録計測の時は、「見てるかな?」と家族を思って頑張って超えましたが、また歩く。この時間が1番キツかったです。
 
たぶん、午後14時前後の最も暑い時間だったと思います。
 
機能性シャツが汗を飛ばし、日よけキャップが首筋を冷やしてくれたお蔭。この時に痛感しました。これが無かったら熱中症になっていたかも。
 
暑さにやられ、フラフラになりながら20エイドグリーン薬局前(82.8km)に到着。
 
かぶり水をかけてもらい、水分補給をしたら
 
ついに日陰を探し、座りこんでしまいました。
 
 
 
 
まだ、あの清見の山を越えないと・・・・・
 
ウルトラ100kmには、最後の最後に「裏ボス」が存在するのです。
 
 
 
 
 
 

2017年6月19日月曜日

飛騨高山ウルトラマラソン 千光寺越え

丹生川支所は、実に賑わっていました。
エイドも充実していて、飛騨牛を4切れほど食べました。
もう、めちゃくちゃ美味かったです!!50km以上走ってきた後に食べる肉の美味いこと。これはもう、50km以上走ってきた人間にしか味わえないですね。

他にも色々と食べ、水分をしっかり補給しました。

その後、ドロップバッグの受け取りに。

中学生くらいのボランティアスタッフが何人も居て、彼らの動きが実に良く、入ってきたゼッケンをすぐに確認し、ほとんど待つこと無く荷物が受け取れました。これは助かりました。本当にありがとうございました!!

色々と詰めていましたが、役に立ったものとそうでないものと。

役に立ったもの
エアサロンパス(気持ちよかった)
サングラス(この後必須でした)
タオルターバンの替え(気持ち良かった)
アミノ酸系(レース後半用)
塩タブレット(足りないくらい)

要らなかったもの
イヤホン(ここまでが順調だったので、違うことをしたくなかったので却下)
着替え(着替える気力無し)
栄養食(前半使用しなかったので)

とにかく先を急ぎたくて、すぐに出発しました。後で時計を見ると、10分ほどのロスだったようです。



丹生川支所から千光寺までは、つい数日前に赤木さんと試走をしてもらっていたので、コースも分かっていたので気が楽でした。距離感が分かっていたので、途中の坂も歩くことなく登りました。

60kmの計測のあと、71kmコースの方は左折。100kmコースはいよいよ千光寺です。

激坂が始まりました。

といっても、私の周りのランナーもほとんど皆歩いていました。トップランナーの赤木さんでも歩くところです。ここでムダな体力を使うのは勿体無いです。アドバイス通り、アウトinアウトで早歩きで登りました。ほとんど登山です(苦笑)

周りのランナーの方は、インを歩いている方ばかり。インはえぐれているので、実は近いようで脚に負担が掛かるそうです。今まで何度も何度も試走をした、赤木さんのアドバイスですが、知らない方ばかりのようですね。私もアドバイスを貰っていなかったら間違いなくインを歩いたと思います。中にはインをゆっくりと走ろうとしていたランナーも居ましたが、結局はずっと早歩きで歩いている私と間隔が変わらないばかりか途中で追い抜いたので、やはりここは無理をするポイントでは無いと実感しました。距離的にもカクレハ→スキー場の方が断然長いのです。勾配の差は歴然としていますが。

試走のお蔭で距離感をつかめていたのは本当に助かりました。これをやっているかいないかでは、メンタル面で違いが出たような気がします。永遠に続くのでは?と思えてきますからね。

千光寺では、演奏をしてくれている方々が。
ここでちょうど13時でした。61.9km地点

 
 
本当に、ボランティアの方には頭が下がります。朝から昼過ぎまで、結構、長い時間演奏をしてくれている訳ですね。拘束時間は、フルマラソンの倍以上では?お礼に頭を下げて通り抜けました。

写真奥の108の階段も、手すりを使わずに登れました。
登り切ったところでさらに段を登り、参拝をしているランナーが居ましたが、私にはその気力は無かったです。

千光寺エイドでも頭から水をかぶりました。生き返った!!この後は少しだけ登ってからいよいよ下りが始まります。

試走をしていないコースです。距離感がつかめず、不安があります。



 

2017年6月18日日曜日

飛騨高山ウルトラマラソン第三関門 丹生川支所まで

長かった登りが終わりました。
コース最高地点1,345mから一気に下って行きます。

この最初の下りの勾配がヤバい。
やっと下りになったこともあり、皆けっこうなスピードで下っていきますが、私はここもかなり抑えました。というのは、以前せせらぎ街道70km走をやったとき、下りで膝をケガした経験があるから。

勢いに任せて走ると、膝に負担がかかります。
赤木さんのアドバイス通り、とにかく前半は抑えに抑えよう。

かなりの数のランナーに再び抜かされましたが、気にせず自分のペースを維持。

 
たぶん他のランナーはkm6分台ですが、私はここでもkm7分台。勾配が緩やかになりだした42km過ぎからは6分台に上げました。
 
フルマラソンの42kmを越えた!!それでもまだ半分まで来てませんが・・・・・



 
いい景色です。
 
補給についてですが、朝日村から10kmごとにアミノ酸系を補給。
塩タブレットもなめました。
食事はエイドごとに少しずつ食べるだけで持ってきた補給食は必要ありませんでした。
 
装備に◎してある、日よけ付きのキャップは本当に助かりました。
日よけ部分が汗を吸収し、首の後ろをヒンヤリと冷やしてくれるんです。
これは買って大正解だったと走りながら何度も思いました。
 
第10エイド、岩滝公民館(49.5km)
確かここでアイスクリームが。ピノだったような。
美味かった!!
この頃から給水は2杯以上に増えました。
その都度新しいカップを使っていては勿体無いので、ボランティアスタッフの方に空のカップにお代わりをもらいます。
 
あ、またもナカさん一家の応援が。
嬉しいなぁ。ぐっさんの応援にあやからせてもらい、めちゃくちゃ元気をもらいました。
(後日、写真までいただき、ありがとうございました!!)
応援って本当に嬉しい。
 
 
 
半分来た!!!!
AM11時15分
タイム 6時間15分
 
スキー場から下りてくると、標高も下がるので暑さを感じると説明会で言われましたが、まったくその通りでした。かなりキツクなってきました。涼しいトンネル内にとどまっていたくてトンネル内は歩いてしまいました。
 
ところが、この暑さですら序の口だったことに後ほど気付かされます。
 
 
国道に出ると、丹生川支所までの距離感がつかめたので、元気が出てきました。
ペースが上がりました。6分12秒!!

あと少しで丹生川支所だ!!!

ここまでは来たかった!!!


丹生川支所到着!!!
57.2km地点
(支所の写真無い・・・・・・)
確か12時くらいだったような気がします。
(関門閉鎖は13時)

頭から水をかぶりました。めちゃくちゃ気持ち良かった!!


 
これ以降、全てのエイドで水をかぶりました。
 
このかぶり水にはどれだけ助けられたことか、分かりません。
 
 
 



 

2017年6月17日土曜日

飛騨高山ウルトラマラソン第二関門 飛騨高山スキー場まで

 
朝日村での冷たい蕎麦がめちゃくちゃ美味かった!!
座って休んでいる方もちらほらいましたが、先を急ぎます。


 
カクレハ方面へ左折したら、登り坂が始まりました。
最初は緩やかな登りですが、長いです(汗)
 
1人、私と同じくらいのペースの方がいたので、すぐ後ろに付いて引っ張ってもらいました。
ぼちぼちスピードが落ちている方も。
ここまでは抜かされることばかりでしたが、少しずつ追い抜くことが出てきました。
 
上青屋公民館(25.2km)で給水し、カクレハキャンプ場へ到着。(29.5km)
あれ、意外と近いな、という印象でした。
確かここでも蕎麦だったかを食べました。
 
その後は、恐れていた激坂が延々と続きます。
もちろん激坂は歩きます。
私の周辺はほとんどの方が歩いていました。
 


 
31kmのラップ 11分7秒
32kmのラップ 10分14秒
33kmのラップ 10分19秒
何とかkm10分台になるように早歩きで。
 
その後下りにもなりますが、そこも長かった!!
カクレハ→スキー場の10kmはキツイ!!
 

 
着いたー!!!!
スキー場まで来れた!!!
39.2km地点です。


 
ちょうど5時間
奇跡的にふくらはぎの痛みが出ませんでした。
本当に不思議です。
けど、この時ですら「完走」は全くイメージしていませんでした。
この時は、とにかく丹生川支所までは何とか行こう、そう思っていました。
 


 
ここもサッと休憩しただけで出発します。


 
40kmの計測を越えます。
家族、速報見てくれているかな。
 
40km越えれたよ!!
 
この後からはいよいよ下りが始まります。
 
 


2017年6月16日金曜日

飛騨高山ウルトラマラソン第一関門 道の駅朝日村まで

最初の最初、スタート直後の登り坂(高山ウルトラではこの程度の坂は坂とは言わないらしいですが)ですら、痛みが出ないか心配するほどでした。
 
 
 
 
通行止めにしてくれている41号を越え、スタバを越えて、ガード下をくぐります。
私のゆっくりペースだと何人ものランナーに抜かされました。
やはり、序盤は気持ちがハイになるのでペースの速いランナーが多いです。
 
 


 
確か、国分寺通りまで家族が応援に来てくれているはず。
 
いた!!
 
妻と長男、次女の声援を受けます。
向かいのおばちゃんや自転車屋の原さんまで。
やっぱり嬉しいですね。
 
あれ?長女を見なかったな~後で聞いたら起きれなかったらしい(苦笑)
 
本町を北上し、弥生橋を越えたら、右折。
 
いよいよ古い街並みに。
多くのランナーが写真を撮っています。
私も、周りを確かめ、他のランナーの邪魔にならないようにパシャリ。


 
その後、図書館の前を通り、三福寺町を抜け、漆垣内町の農道を走ります。
何度か試走した道です。
やはり試走をしていると距離感が分かり、気持ち的に楽ですね。

最初のエイド、高信前はスルーしました。2つ目のエイド、塩屋公民館(10.5km)で、トイレに駆け込みました。やはり少し寒かったせいでしょう。他にも何人も居ました。そのタイムロスが2分ほど。


 
イーブンペースって難しい。
自分ではイーブンのつもりだったのですが・・・・
 
 
公民館を越え、なかさん一家の手厚い応援を受け、いよいよ美女峠に入りました。
 
ここまでふくらはぎの痛みが全く出ませんでした。美女峠の登り坂に不安を感じていました。
 
 
 
 
 
峠道の登りはムリはしませんでした。
キツ目の登りは歩く、と決めていました。
ただ、故障したときの練習時に歩いたスピード、10分/kmを維持しようと早歩きは心がけました。(この後ずっと)
 
上記参照 1番キツかった16km付近の登り坂は、10分30秒/kmです。
 
この登りでかなり汗をかき始め、これ以降のエイドは全て止まって補給しました。携行したボトルにも水を入れてもらいました。
 
美女高原から朝日村に下る頃、日差しが強くなってきました。
 
どうやら暑い日になりそうです。
 
 
第一関門 道の駅朝日村 21.8kmに到着しました。
 
ここまでで約2時間半。AM7時半頃でした。
 
 
 

2017年6月15日木曜日

飛騨高山ウルトラマラソン スタート

レース前は緊張したりであまり寝れないこともあるのですが、今回はしっかり寝ることが出来ました。何人かのアドバイスを参考にして、少し早めの1時過ぎには起きました。夜中に起きるのは、名古屋仕入れで慣れているので有り難いです。

まずは、心配材料の左足ふくらはぎにテーピングを巻きます。
どうか痛みが出ませんように!!
祈る気持ちで巻き、赤木さんに教えてもらったゲイター(サポートタイツ)を上から履きました。

家族を起こさないようにのそのそと着替えを終えたら、昨晩の唐揚げと白飯にごま塩をかけてガッツリ食べました。パンも食べました。こまめに水分補給をしながら、いよいよ自宅をあとにしました。

外はAM3時過ぎ。もちろん真っ暗です。当初、妻にスタート地点のビッグアリーナまで送ってもらおうかと思っていましたが、よくよく調べたら高山駅からシャトルバスが出てるので駅まで歩くことにしました。国分寺通りは、何人ものランナーが駅に向かって歩いていました。ふくらはぎの状態を確認するように歩きました。

すると、横を通る車から手を振る人が。
「原さん!! 乗って乗って」
ナッシーでした(笑)
奥さんが会場まで送ってくれるらしく、めちゃくちゃ助かりました!!
ナッシーは71kmにエントリーしています。お互い、昨年は怪我で欠場しました(苦笑)

お蔭で会場には早く着きました。スタートまで1時間以上あります。アリーナの2階席でナッシーと話しながらスタートを待ちました。緊張と不安が高まってきます。

その後、ぐっさんにも偶然会え、ナッシーと別れて、1人スタート地点に向かいました。外は8度。寒さを感じるくらいです。やかんから暖かい飲み物が提供されていて、てっきり熱いお茶かと思って飲んだらスープ系でした(汗)全部飲めなかった、すみません。

AM4時45分。100kmの1部がスタートしました。白ゼッケンの、主に早いランナーです。
私は100km2部のAM5時スタート。黄色のゼッケンです。
(71kmはAM5時15分スタート。15分置きのウェーブスタートになっています)

 
 
高山市長の号砲でスタートしました。
さて、どうなることやら。
自信なんて全く無かったです。
ふくらはぎの痛みがいつ現れるのか、不安にビクビクしながらゆっくりと走り始めました。
 
 



2017年6月14日水曜日

飛騨高山ウルトラマラソン前日エントリー

2012年に始まった飛騨高山ウルトラも6回目を迎え、参加者は右肩上がりに増え続け、1回目は100km男子は600人ちょっとだったのが、今年は私も含め1,982人がエントリー。71kmも含めると3,000人を越えるランナーがエントリーしたそうです。

6月10日(土)、この日は空の色では結婚式の仕事が大変多く、さらにうち1件、私の担当するブライダルは1件で2.5件分くらいの大規模な内容で、この仕事もかなりのプレッシャーでした。5日(月)7日(水)と連続の名古屋仕入れでトラック満載の花を仕入れ、9日(金)の名古屋仕入れだけは何とか行かずに済ませようと計画しました。というのは、名古屋トンボ返りの往復運転だけでも相当に体力を消耗するからです。100kmに向けて、少しでも体力を温存したかった。

10日(土)AM たくさんのヘルプの方の助けもあり、(この場を借りてありがとう!!)全ての婚礼の納品が終わり、いよいよ私は前日エントリーと装備品の再チェックへと。

16時の説明会に向けて、自宅を出発しました。外は雨が降り始め、時折強く降りました。

ずっと見ていた天気予報は、しばらくは曇りのち雨だったので、雨でのレースをイメージしていました。けど、ギリギリで予報は変わり、結局は「晴天」に。


 
 
最高気温25度。最低気温8度。気温差激しいですね。朝は寒いくらいでしょう。昼はどうなってしまうのか。
 
 欠場した昨年は、エントリー会場のビッグアリーナへは自転車で行きましたが、今年は車で。少しでもムダな体力は使いたくないのと、雨も降ってきたので。
 
16時のコース説明会も参加してきました。ユーモアあふれた内容で、とても参考になりました。その後、少し早めに切り上げ、補給食を買い、装備を整えました。
 
 
私の今回用意した装備がこれ。
 
 
 
左から adidas 機能性Tシャツ(◎)
NIKE 機能性アンダーウェア(◎)
coolbit 日よけ付きキャップ冷却機能付き(◎)
FlipBelt(フリップベルト) スポーツウエストポーチ(〇)
タオルターバン(〇)×2
アームカバー(◎)
ショートパンツ(〇)
CW-Xふくらはぎ用サポーター(◎)
Tabio 5本指ソックス(〇)

写真に写っていないもの
FlipBelt(フリップベルト)携帯ボトル(310ml)(◎)
サングラス(◎)
 
 

補給食系は以下

アミノバイタル4本(〇)

shotz 系 4本(△)
メダリスト 5本(〇)
絆創膏(△)
痛み止めと胃薬(△)
塩タブレット(◎)
食塩錠(◎)

丹生川支所へのドロップバッグに入れたもの
着替えと替えの靴下(△)
サングラス(◎)
補給食の半分(〇)
イヤホン(△)
エアサロンパス(〇)
タオルターバン2枚目(〇)


何しろ初めての参加なので勝手が分からないです。
あれこれイメージしながら準備していきました。

前日夕飯は妻が唐揚げをたくさん作ってくれました。普段はあまり食べない白飯もしっかり食べ、ビールも飲み、21時前には寝ました。

2017年6月13日火曜日

神様からのお誘い

4月27日の練習でふくらはぎの肉離れをやってしまった次の日だったと思います。

名古屋仕入れからの帰り道、携帯が鳴りました。

国府の焼肉店「精香園」を経営する赤木は私の高校時代の同級生なのですが、その弟さんからの電話でした。

まずは、母の日のお花を頼みたいという内容と、「良かったらウルトラのコースを一緒に試走しませんか?」とのお誘いの電話でした。

ええええええ???
赤木さんほどの一流の方が私みたいな素人と????

ウルトラランナーA氏の教え

フルマラソンが2時間30分台。昨年のウルトラは5位入賞で8時間13分。福岡国際出場。東京準エリート枠。地方の大会での入賞多数。こんな感じで多分合ってると思いますが、何しろとにかくスゴイ方なので私もついつい、息子の口癖がうつり、



 
 
私「神レベルの方に私ごときが気軽にメールしてすいません」
赤木さん「走るのが好きな人同士に神も仏もないですよ」
 
ヤバいわ。カッコ良過ぎる。
 
これを読んでから「遠慮はやめよう。これはチャンスだ。勉強させてもらおう」と思いました。
 
で、丹生川支所から国府を経由する30km走などのコース試走を計画してもらったのですが、ふくらはぎの肉離れは治るどころかいっそう悪化してしまい、実現できませんでした。ここまでのケガになるとは思わず、これは本当に残念でした。そして、その試走があればもう少し違っていたな、というのは当日に国府付近を走っていて感じました。というのは、行ったことのほとんどない国府付近の距離感が全くつかめなかったからです。暑さにもやられ、歩いてしまいました。
 
ふくらはぎが治ったかなと感じたのは、ギリギリの6月に入って3日の12km走。その後、6月6日に赤木さんと丹生川支所⇔千光寺の往復を一緒に試走してもらえました!!これはレース当日にも本当に役立ちました!
 
ところが、その練習の後も、やっぱりふくらはぎに違和感が残り続け、6月10日、前日の仕事の最中ですら筋肉の張りを感じました。
 
相当な不安を抱え、前日のエントリーに向かったわけです。欠場だけはしたくなかったので、とりあえず出るだけは出よう、そう思っていました。果たして20km持つのだろうか、美女峠を越えれるのだろうか、そんな余りにもレベルの低い状況だったわけです。
 
 

2017年6月12日月曜日

飛騨高山ウルトラマラソンとは

まずは「ウルトラマラソンって何?」ってところからいきます。

え?そこから?
はい。そこからです(笑)

ウルトラマラソンとは、一般的なマラソン=フルマラソン(42.195km)を越える距離のマラソンのことです。50や65km、一番ポピュラーな100kmよりも長い160kmや247km(スパルスタロン)といったものもあります。

ウルトラマラソンの大会は南は沖縄から、北は北海道まで、年間30を越える大会がありますが、飛騨高山ウルトラマラソンは累積標高差3,839m、国内屈指のウルトラマラソンと言われています。

飛騨高山ウルトラマラソンHP



私が2年前に興味を持って調べたとき、「何これ?意味が分からない」と思いました。(苦笑)

自分がまさかそれに出ることになろうとは、当初は全く考えていませんでした。遠い世界の話であるかのように感じました。

昨年2016年にエントリーした後に、コースを車で見に行きました。
2016年6月6日の記事
あ然としました。こんなところ、車ですら走る所と違うやろ(汗)
その年は、膝の痛みがギリギリまで残り、無念の欠場となりました。
出れなかったことが本当に悔しくて悔しくて、その後エライことになりました(大汗)

リベンジをかけてエントリーした2017年、今年。

4月初めから本格的な練習を始めました。

ウルトラの経験の無い私は、どのような練習メニューを組めば良いのか全く分からず、とりあえず金先生のサブ3用の練習メニューを自分なりに設定し、愚直に守りました。

そして、まさかのケガに発展・・・・・(マジか)


今、振り返ると、原因が分かります。
1.月間走行距離230kmを越える練習メニューが自分の実力よりもオーバーしていたこと
2.せめて、練習の後にストレッチをしていれば良かったのを、後半は時間が無くサボり気味だったこと
3.練習のスピードが早過ぎたこと。(5分~5分半/km)練習強度が強過ぎだったかも。

ウルトラを終えた今なら、何が必要なのかかなり理解できるようになりました。それは最後の方でまとめたいと思います。

休養中は辛かったです。そういう時に限って、走れる時間が割と取れそうだったりするんです。
長く辛い5月でした。

まだまだ続く。
次回でもスタートしません(笑)




 

2017年6月11日日曜日

飛騨高山ウルトラマラソン100km 完走しました

飛騨高山ウルトラマラソン
100kmの部

 
まさかの完走できました!!
 
昨年は膝のケガで、無念のDNS(欠場)
 
その悔しさを晴らすことが出来ました!!
 
 
とはいえ、今年も紆余曲折でして
 
4月の練習でふくらはぎの肉離れをやってしまい、5月はほとんど走れず。
 
完治しないまま、それこそレース前日まで違和感を感じながらの出走。
 
正直言って、楽しみより、不安しか無かったです。
 
このふくらはぎが何kmまで持つのか・・・・・
痛み止め(ロキソニン)を飲んで走るつもりでした。
 
結局、ふくらはぎの痛みは最後まで出ず(何だったのでしょう?いまだに分かりません)お師匠S氏の教えを忠実に守って、前半を抑えすぎるくらいに抑えたり、その他色々な教えを守ったら・・・
 
最後の最後まで脚が残っていました。こんなこと、過去のフルのレースにおいても初めてでした。
 
この完走は、S氏のアドバイスのお蔭なんです。そのS氏もなんと、3位入賞!!!調子が良いとの話でしたが、タイムも8時間01分52秒と、昨年より12分ほど縮めてのゴールです。
 
本当におめでとうございます!!

ウルトラは、本当に苦しい100kmでしたが、めちゃくちゃ楽しかったです。
今は満身創痍ですが、もうすでに来年も絶対に出る予定です。

来年こそは、12時間台を目指したいです。

ゆっくりとレースを振り返っていきます。





2017年6月6日火曜日

ウルトラランナーA氏の教え

5月はあまりブログ更新が出来ませんでした。

5月18日に再発した左ふくらはぎの肉離れは、痛みがひどく、脚を引きずるほどになってしまいました。歩行すら困難なのに走れるわけありません。

中9日間も静養し、そのあいだは、ストレッチや筋トレをやっていました。苦手なスクワットを1日100回は何とかやりました。

痛みの取れた28日からは、いつものコースを歩くことにしました。約8kmを10分/kmくらいのスピードで歩きました。早歩きくらいですね。

そんなこんなで、5月はなんと月間100kmも走れず、ケガに苦しみました。キモチが乗ってこないのでブログを書く気にもなれませんでした。肉体的にも精神的にも、正直、かなりキツかったです。

復活の兆しが見えたのは、6月3日(土)の12km走。かなりゆっくり目でしたが、痛みにおびえる感じがなく、ケガをする前の体調に戻ったような気がしました。当日まであと1週間で復活って・・・・計画ではこの1週間前までに完全に仕上げるつもりだったのに・・・・

つべこべ愚痴っても始まらないので、(これは自分への備忘録なんですが・・・)

さて話を変えて・・・・


実は、最近色々とランニングのアドバイスを私に教えてくれるスゴイ方が地元飛騨高山にいまして。

なんと昨年の飛騨高山ウルトラで5位入賞のA氏です。A氏は、福岡国際に出るほどの実力者、東京も招待選手(エリート枠)です。昨年のウルトラは8時間13分!!

私の5歳下の方で、兄ちゃんが私の同級生。兄ちゃんは、国府で焼肉店(精香園)をやってます。

そんなこんなでお知り合いになれて、母の日は花を買いにきてくれまして、LINEのやり取りをずっと。過去4回出場されたA氏から、沢山の貴重なアドバイスを頂きました。許可を頂いておりますので、ここに箇条書きで掲載したいと思います。(ウルトラマラソンでのアドバイスです)

1.練習は月間走行距離にこだわらずに、質の良い練習をおこなうといい。
2.練習でやらないことは本番でもやらない=本番でやりたいことは練習で試しておく
3.ウェアやシューズは、練習で試しておく。補給食なども。

ケガについてのアドバイス。原文まま。もしケガに苦しんでいる方がいたら参考にしてください。

「おそらくは、腓腹筋周辺の軽度の肉離れの類ではないかと思います。この怪我は、僕もランニングキャリアにおいて、何度かやっており、特徴は数日休むと日常生活上の痛みが消えるので、治ったかのように感じてしまい、再開し、また痛めを繰り返し、結果として長引くというランナー泣かせのヤツです。ストレッチはもちろん、腓腹筋自体の筋トレなど対応策はありますが、大腿部より下腿部に頼るランナーの場合に痛めやすいと分析しています。」
「歩くと痛くないようであれば、痛くならない程度で出来るだけ速いウォーキングはやった方がいいと思います。いつものコースで良いので、やっていると、筋力の低下を防げますし、治りも確認できますのでオススメです」

次に、ウルトラ本番でのポイント。←これ重要。

1.全エイド全て止まるつもりで、補給をしっかり(特に水分)
2.急な登坂(カクレハからスキー場までの坂の一部、千光寺の登り)は、必ずアウトinアウトで。内側はえぐれる様に急勾配なため、ヤバイ箇所はとにかく歩く
3.リタイヤ等の不測の事態が想定されるなら携帯電話を持つ(場所によっては関係車両が通らない、もしくは対応が遅い場合があるので)
4.予想以上に調子が良くても、設定通りにセーブする
5.他のランナーのペースは意識しない。(特に序盤)極端にいうと、時計だけを意識すればいい
6.「いかに自分にブレーキをかけられるか」が重要なポイント
7.勾配でペースが変動することはあっても、基本はイーブンペースで、特に序盤はエンジンブレーキをかけて走るつもりで良い

ざっとこんな感じです。要は、ウルトラ100kmはとにかく長いので、いかに後半に脚を残せるかが重要、ということです。

本当は、A氏からお誘いを受け、5月に30kmくらいの試走を一緒にやってもらう予定だったのです。こんな私のような素人に毛が生えたようなランナーに、超一流の方がですよ!?

そんな有り難すぎる申し出に、嬉しくて嬉しくて、本当に楽しみにしていたのですが、まさかのケガが悪化し、結局30km走は実現出来ませんでした(涙)

ところが、痛みがようやく取れた今日、丹生川支所から千光寺までの往復約10kmを一緒に試走してもらいました!!!!

上記のアドバイス以外にも色々なことを走りながら教えてもらいました。これほどあっという間に終わった10kmは過去にないくらい、とにかく楽しかったです。

正直まだ左ふくらはぎに違和感は残り、かなり不安ではありますが、5日後に迫ったウルトラ当日に向けて最後の調整に入りたいと思います。


まさかこのようなブログに行きついたランナーの方々、トップランナーの方の貴重なアドバイスなので、是非とも参考にしてみてください。