2016年6月30日木曜日

スランプからの脱出

いつまで続くのか?

と思っていた、長く暗いトンネルにも、やはり終わりはありました。

もう二度と走れないのかも?と、最悪の状況を考えたこともありました。
 

ついに

ついに

走れました。テーピング無しで7km
 




長かった。マジでキツかった。

全治40日掛かりました。まさかそこまでの怪我になるとは思いもしませんでした。

何度、トボトボと歩いて帰ったことか。

何度、ランニングしている人を羨ましく思ったことか。

走れる!と思った直後に痛みが出て、何度ガッカリしたことか。

正直、まだ1回走れただけなので、疑心暗鬼な状態ではありますが・・・
 


このスランプを経験して、今まで以上に痛感したこと

「走れるってことはありがたい」


結局最後はそこに行き着きますね。


マラソンを始めた頃

3km走ることがやっとだった。
それがやがて5km、7kmと走れるようになってきたが、走り終わった後はいつも筋肉痛、夏には熱中症にもなりました。

その頃は、マラソン大会に出るなんて考えもしなかった。10kmがやっとなのに、ハーフとかあり得ない、って。

初めて出たハーフの大会で、完膚なきまでに叩きのめされた。何十回と走ってきた練習を全否定された気分だった。

完走は出来ても、フルマラソンは夢のまた夢だった。この死ぬほどエライ21kmの倍走るって意味が分からなかった。

3ヶ月の練習、死に物狂いで走って走って走った。けど、初のフルマラソンは、わずか8秒でサブ4を逃した。

その悔しさが、次の大会に結び付いた。半年後のフルマラソンで、わずか数秒でもサブ4が達成出来た。

ようやくここまで来れた。次は、そのまた倍以上の距離の100kmウルトラに出場するつもりが、まさかの怪我に。練習で70kmは走れたものの、達成感以上に喪失したことが大きかった。

そして現在。

まさか、「7kmがやっと」の地点に戻るとは。こうしてまとめてみると、いかに最初の方に戻ってしまったかが良く分かる。

100枚並べ切る前に、ドミノにうっかり触れてしまい、残り7枚だけ残して全て倒してしまった気分だ。


7kmから10km、やがて15km、21km、そしてまたフルマラソンに来年のウルトラと、また一歩ずつやり直しだ。

けど

これでいい。
 

やはり、私は痛い思いをしないと理解出来ない残念なヤツなんだ。

ドミノを並べるのは、次はもう少し要領良く出来るだろう。

怪我のせいで勉強出来たことも山ほどある。

今は、栄養学を勉強中。
 

糖質制限とは?
GI数値とは?
プリン体って?

奥が深いだけに、学べば学ぶほどイマイチ分からなくなってきていますが。勉強の理由は、「怪我しない身体を作るため」

走れない生活は、二度とゴメンです。







0 件のコメント:

コメントを投稿