と思っていた、長く暗いトンネルにも、やはり終わりはありました。
もう二度と走れないのかも?と、最悪の状況を考えたこともありました。
ついに
ついに
走れました。テーピング無しで7km
長かった。マジでキツかった。
全治40日掛かりました。まさかそこまでの怪我になるとは思いもしませんでした。
何度、トボトボと歩いて帰ったことか。
何度、ランニングしている人を羨ましく思ったことか。
走れる!と思った直後に痛みが出て、何度ガッカリしたことか。
正直、まだ1回走れただけなので、疑心暗鬼な状態ではありますが・・・
このスランプを経験して、今まで以上に痛感したこと
「走れるってことはありがたい」
結局最後はそこに行き着きますね。
マラソンを始めた頃
3km走ることがやっとだった。
それがやがて5km、7kmと走れるようになってきたが、走り終わった後はいつも筋肉痛、夏には熱中症にもなりました。
その頃は、マラソン大会に出るなんて考えもしなかった。10kmがやっとなのに、ハーフとかあり得ない、って。
初めて出たハーフの大会で、完膚なきまでに叩きのめされた。何十回と走ってきた練習を全否定された気分だった。
完走は出来ても、フルマラソンは夢のまた夢だった。この死ぬほどエライ21kmの倍走るって意味が分からなかった。
3ヶ月の練習、死に物狂いで走って走って走った。けど、初のフルマラソンは、わずか8秒でサブ4を逃した。
その悔しさが、次の大会に結び付いた。半年後のフルマラソンで、わずか数秒でもサブ4が達成出来た。
ようやくここまで来れた。次は、そのまた倍以上の距離の100kmウルトラに出場するつもりが、まさかの怪我に。練習で70kmは走れたものの、達成感以上に喪失したことが大きかった。
そして現在。
まさか、「7kmがやっと」の地点に戻るとは。こうしてまとめてみると、いかに最初の方に戻ってしまったかが良く分かる。
100枚並べ切る前に、ドミノにうっかり触れてしまい、残り7枚だけ残して全て倒してしまった気分だ。
7kmから10km、やがて15km、21km、そしてまたフルマラソンに来年のウルトラと、また一歩ずつやり直しだ。
けど
これでいい。
やはり、私は痛い思いをしないと理解出来ない残念なヤツなんだ。
ドミノを並べるのは、次はもう少し要領良く出来るだろう。
怪我のせいで勉強出来たことも山ほどある。
今は、栄養学を勉強中。
糖質制限とは?
GI数値とは?
プリン体って?
奥が深いだけに、学べば学ぶほどイマイチ分からなくなってきていますが。勉強の理由は、「怪我しない身体を作るため」
走れない生活は、二度とゴメンです。
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