わたしの父は、もともと花屋をやる前はフリーのカメラマンでした。
東京から高山に引っ越し、カメラマンから花屋に転職したのは父が42歳で私が高1の時でした。今から31年も前の話です。
環境もまるで違う、職業もまるで違う、加えて今にもつぶれそうな状態だった「岩田生花店」をここまで復活させたのは、まさに父と母の苦労によるものでした。おしどり夫婦でした。
42歳から第二の人生を始めた父は、相当に苦労したのではないかと、今のわたしの歳になってようやく分かり始めてきました。
わたしがカメラに興味を持つようになったのは、実は父の死後でした。特に写真の楽しさを教えてもらったわけでもなく、カメラを持って撮影しているところも見たわけでなく、それでも写真の楽しさを知ったのは、やはり父の血なのかもしれません。
父は当時カメラをおいて、右も左も分からぬ新しい土地で、剪定ばさみと軍手の生活を選んだわけですが、わたしは現在、その両方をやらせてもらっているこの現実に感謝しなければいけないなと感じています。
3日ほど前のことです。
店に突然、TBS社から電話がありました。
「TBSってあのTBS??」
その時私は不在にしていて、後から聞いたのですが、詳細は以下でした。
今週の金曜日(2月19日)の「金スマ」で、何でも「中畑 清さん」の特集をやるらしく、そこで昔、父が撮影した写真を使わせてほしいとのこと。
元巨人軍の中畑清さん。私が熱烈な巨人ファンだった小学生くらいだった頃、現役でプレイされていたのを後楽園球場で見たような記憶があります。その中畑さんと妻の仁美夫人を1979年に撮影したのが、昔の父だったとか。父が36歳で、中畑さんが25歳の頃だったようですね。中畑夫妻はおしどり夫婦で大変仲が良かったとのことですが、仁美夫人は2012年に子宮頸がんで亡くなられているようです。まだ59歳だったそうです。
当時父が撮影したご夫婦の写真を、何でも中畑さんがとても気に入っていらっしゃるようで、金スマの担当の方が番組で使わせてほしいと頼んだところ、それなら掲載された週刊現代(講談社)に許可をもらってくれと。(父はその頃、週刊現代の撮影の仕事をしていたようです)で、週刊現代の編集部が、それは「原 彪(たけし)」(父)が撮影した写真だから本人の家族に許可をもらってくれと。
それでうちに電話があったわけです。(うちの連絡先はどうにか調べてくれたようです)
今から37年も前に撮影した父の写真。私たちもどんな写真なのかすら知りません。
けど、それを中畑氏が気に入ってくださっていたことだけでも嬉しいのに、中畑氏も講談社も、そしてTBSも丁寧に私たちのところまでわざわざ連絡をしてくださった経緯に、本当に心から嬉しく思いました。
おそらくパッと映るだけの写真で、ほんと一瞬のことだろうと思いますし、きっと大したことではありませんが、私たち家族にとっては10年も前に突然亡くなった父が今頃になってまた出てきたような、そんな少しだけいい話なのです。
その話を聞いて、母はずっと泣いてばかりです。よほど嬉しかったのでしょう。
この場を借りて、中畑清さん、雑誌現代の編集部の方、TBSのキクチ様、に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
※ちなみに、TBSのキクチ様に、父の写真を私たちが判別出来ないので、「撮影 原 彪」と入れてもらうことはできますか?と図々しく頼んでみたら、入れてくれると言ってもらいました。当日の放送を楽しみに見させてもらいます。
2月19日(金)21時からだそうです。
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