2014年12月7日日曜日

Life is beautiful

小5の息子が所属するグループは、皆活発で元気がいい。実に子どもらしい子どもたちばかり。どちらかというと「オレがオレが」といった、弱肉強食の上の辺りに位置しそうな子どもが多い。

一方、我が息子は、遠慮がちでおどおどしてばかりいる。輪の中に上手に入って行かないし、入って行けないし、はたから見ていても実にもどかしい。「遠慮しないでガンガン入って行けばいいやんか」と親としては思うが、絶対にそれは息子に強要しません。軽くアドバイス的なことは言ったことはありますが、息子は息子なりの世界があり、快適ではないのだろうことは表情や態度で分かるのですが、子どもの世界に親が介入するのはよほどの事情が無い限りなるべく避けたいかな、と。

息子の性格は、基本的にマジメ。上に「くそ」が付くくらい。そして優しい。友達や他人のことを悪く言うのは、一度も聞いたことがないし、イヤなことをされる相手でも怒ることはまず無い。泣くことはあるが (^^;;
妙なところでこだわりが多々あり、やりたくないことはやらないし(ノリが悪い)そのことが正しいかどうかをやたら気にするところがある。

例えば幼い時分、保育園くらいの頃から、私が例えば車を路駐すると

「パパ、そこ車停めていいの?」としつこく言ってくる。

路上駐車がダメということをいつの間に学んだかでいえば賢い子になるが、この生真面目さは、今の私や、ましてどちらかといえばルーズな妻の血とは思えない。私もマジメか非マジメかで言えば、マジメな部類だとは思うが、その私ですら「そこ、そんなに気にする?」といったことをやたら気にする。

先だっても、正月の竹切りや南天切りを手伝わせたら、最初の質問が

「パパ、そこ切っていいとこなの?」
「きちんとお願いして切らせてもらってるんよ。当たり前やん。勝手に切ったら泥棒やんか。」
「じゃあ、何円?」

値段がいくらかもやたら気にする。息子が幼い時に、彼の前でそんなにお金の話や世の中のルールの話なんかしたっけな?と不思議に思うくらい。

質問が、「知りたい」「学びたい」という姿勢から来るものなら喜んで教えてあげるが、何か不安から来る質問のようで、どちらかというと「そんなこと、心配せんでもいいよ」という内容が多いので、まあ返事はするが「大丈夫やよ」という安心させる内容になってしまう。

息子の他の性格の特徴は、「自分から友達を誘えない」 これは、びっくりするくらい本当に出来ない、やらない。どうも断われるのが怖いようだ。その割には、誘われて断わるのも苦手なようで、大概は必ず行く。

要は、気が弱いのだ。家ではそんな様子はなく、とても元気なので完全な内弁慶。

妻とも何度も話し合ったが、なかなかこういった基本的な性格の部分を変えていくのは難しい。導き過ぎると過度な干渉になるし、誰しも短所と長所を持ち合わせている。息子にも、良いところが沢山ある。

ただ、特に今のグループ内では見ていて歯がゆいくらいな位置にいる。輪の中から1人はみ出ていたり、1人でポツンとしていることを多々見る。

決してグループの子たちが仲間外れにしているようにも見えない。どちらかというと息子が入って行かない。入ろうとして、何か息子にとってイヤなことを誰かに言われることは確かにあるようだ。からかい程度だろうから気にしなければいいのに、その一言を気にしてしまう。「来いよ」と、誘ってくれる面倒見の良い子もいるのだが、意地悪な子の一言にやられてしまうようだ。

子ども同士は、その辺りの性格については敏感だ。大人しい子は狙われる。時に残酷なこともある。



私自身の小学生の時分を振り返ると

私はいじめた経験も、いじめられた経験もある。

幼稚園と小学生低学年の頃は、随分悪かったらしい。叩いたり、いじめたりしたようだ。小学生低学年の頃、傘をひっくり返して水をため、大人しい子のアタマからたまった水をかけたら、相手の親が怒鳴り込んで来たらしい。

一方で、小学生高学年の頃は、年齢がひとつ下のガキ大将に目をつけられ、執拗にいじめられた。学校の下校時にやられるので、いかにそいつと会わないようにするか、いつも道や時間をずらしていた覚えがある。いつも一緒の仲間が居たが、割と大人しいグループだったので、ガキ大将には逆らえなかった。ある日、気の強い転校生が来て私たちの仲間に入り、ガキ大将と喧嘩をしてから、私に対するいじめが無くなった。小学生の頃は、私は背が2番目くらいに小さかった。

中学生の時分も、別のガキ大将が居た。中学生なので、ガキ大将というよりいわゆる不良だ。不良少年、懐かしい響き、金八先生の時代。タバコを吸っているのも、授業をサボっているのも良く見た。私がかつて傘をひっくり返して水をかけた子は、髪を染め、その不良の舎弟になっていた。強がっている感じが、かえって痛々しい感じに見えた。あの頃は、一部の悪いヤツと、その取り巻きが必ず居た気がする。

高校入学で高山に編入してきた時にもいじめられた。いじめというか、東京から来た東京もん、ということで、異質なものに見られた。息子が今経験している、「1人でポツン」はその頃味わった。自分は周りの皆と違って異質なんだ、という思いが強くした。別のクラスから、髪の長い私をわざわざ見に来て「あいつ、ダブりやって」と噂されていた。あの頃の中学生は、皆坊主アタマで、私はそれを拒否していたので余計に異質に見られたようだ。

今にして思えば、いたしかたない。

あの頃に、人の性格の「意地悪さ」と「集団からの疎外感」を経験した。今にして思えば、ガンガン入って行けば良かったのに、思い返すほど、私も息子も似たところがあるようだ。

東京から高山に来た頃は、私だけでなく、弟は中学で私よりも更に激しい いじめに合っていたようだし、更に今にして思えば、亡くなった父も、環境の変化に加え転職までして相当に大変な思いをしていたようだ。家族皆が必死だった訳だ。

父は本当に優しい人だった。私の息子の優しさは、祖父である私の父の優しさを引き継いでいるのかもしれない。私の父が、誰かのことを悪く言うのは確かに聞いたことが無かった。気の弱いところもあったが、本当に気が弱かったとしたら、42歳で、カメラから剪定バサミに転職をし、東京から高山に移り住み、それも私の母である妻の実家の事情(つぶれる寸前の花屋)でそれをおこなうというのは、出来なかったことだと思う。

42歳。ほぼ今の私の年齢。想像するとスゴイことだなと、改めて父の偉大さと強さと優しさを感じています。父が死ぬまで私はそれに気付いていなかった。本当に親不孝だったと思う。

息子の話から脱線していきました。

かくも人の人生は山あり谷あり。息子もまだせいぜい10年と少ししか生きていない。これから多くのことを経験し、少しずつ変わっていくでしょう。

父親の出来ることは、それをしっかり見守ってあげること。どのようになろうと、息子の味方であること。


Life is beautiful








0 件のコメント:

コメントを投稿