家の中で、何人もがアタマをくっつけあって夢中になるのは、今はDS。うちの子は稀少な「持ってない派」ですが、その持ってない子の家に来てDSをやる妙。けど、息子は全然全く気にする様子もなく、友達のプレイを覗き込んでいる。
別の場所で、娘らが古いiPadで見るのはYouTube。こちらも、他人がゲームで遊んでいる様子(プレイ動画)をアタマをくっつけあって見ている。自分でやりたい、と思わないのかな?
世代と共に、価値観も移り変わります。
今から30年以上も前の話ですが、確かに我々の時代からゲームはありました。かの任天堂ファミコンの全盛期。
我が家にもファミコンが無かったので、持っている子の家に行って夢中で遊んだのを覚えています。
けど、私の時代は、基本的に遊ぶのは外ばかりでした。
小学校低学年の時には、住んでいたマンションと隣接する駅とのあいだにあるコンクリートの壁(約2mくらい)にしょっちゅうよじ登り、壁を越えて駅側に飛んで行ってしまったボールを拾いに行ったものでした。
共通のゴミ捨て場の建物の屋根は、いつも誰か子どもがよじ登っていました。その裏にはいくつもの基地が。中学生の基地には、中にエロ本(ビニール本)が隠してありました。ドキドキしたのを覚えています。
度が過ぎて植木をへし折ったりすると、マンションの管理人のオッチャンがド叱りに来ます。皆、一目散に逃げます。謝る子どもなんかいる訳ないです。いち早く逃げたもんがちでした。オッチャンが居なくなったのを確認したら、また同じ悪さを繰り返します。
ボールが飛んで行ってしまったら、駅だろうが、人の家だろうが、どこだろうが忍び込みます。10階建くらいのマンションでしたが、2階まではよじ登って人の家のベランダに入ってしまったボールを取りに行きました。
基本的に、木があれば登る、壁があれば登る、屋根があれば登る、皆アホだったので高い所が好きだったのかもしれません。
今にして思うと、よくまぁそんなことをしていたな、と。
というか、今そんな光景を見かけたら、自分たちが昔どうだったかなんてすっかり忘れて怒りそうです。
あの頃は、親や近所の方々もほったらかしだったし、親たちも自分たちのことに必死で、子供たちのことなんか構ってられなかったのでしょう。
そんな我々悪ガキも、けどそれだけしょーもないことをしながら、大きな怪我や事故もなかったのは、そういった経験を積んでこそ、これは安全でこれは危険といったことを自ら実体験により学んでいたんだと思います。
そうやって考えたら、今の子供たちが少々ヤンチャなことをやっていても、多少は目をつぶってやることも大事かもしれませんね。
あの頃よく行った駄菓子屋。懐かしいな。100円あれば、かなり贅沢が出来た。(10円のものが10種類も)
この前の祭りに、子供たちが屋台が出るから遊びに行きたいというからお小遣いをあげました。
500円ずつもあれば、上等だろうと思って準備したら、妻が止める。せめて1,000円は渡さないと。
えー。たかが縁日に1,000円だと!!小学生の分際でなんつう贅沢な。
ところが、わが子の1,000円が友達の中で一番少なかったらしく、多い子は3,000円とかも。
余りの自分自身の時代錯誤感に、相当に驚きました。
ゴメンね。けど、それが我が家の相場です。イヤなら自分たちで稼ぎなさい(笑)母の日、バイト募集中やよ。あなたらは時給100円やけど(≧∇≦)
それにしても、今から30年後にはどうなっているのだろう。
とりあえずオンライン化は進み、ゲームの世界に国境は完全に無くなりそうですね。ゲームの力で世界から紛争を無くせたら素晴らしいですね。